2014年5月11日日曜日

エンデ全集3 『モモ』

エンデ全集3 『モモ』
ミヒャエル・エンデ
大島かおり 訳
1996.9.5 第1刷 (岩波書店)

読了日 2009/07/25 


モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)
ミヒャエル・エンデ

岩波書店 1976-09-24
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ストーリー


街外れの廃虚に暮らしはじめた不思議な女の子、モモ。
彼女は「話を聞くこと」という素晴らしい才能をもっていました。話を聞いてもらうことで相手は自分のなかにある真実というべきものに気づいていくのです。
ジジ、ベッポと親友になります。街の人びとと貧しいながらも助け合い楽しく毎日を過ごしていました。

しかし街に「時間貯蓄銀行」の銀行員なる灰色の男たちが現れる。彼らは時間を倹約して時間銀行に貯蓄することで10年後には時間が2倍、将来的にはそれ以上に何倍もの時間が手に入ると騙ります。彼らに従い街の人たちは「時間節約」に励みはじめ、日ごと人々の暮らしが変わっていきます。

モモは灰色の男たちの正体に気づきます。
モモを危険視した男たちは彼女を懐柔しようとビビガールを贈り、それが叶わないとみるや仲間を奪っていきます。
マイスター・ホラや亀のカシオペイアの力を借り、モモは灰色の男たちに立ち向かっていきます。


表紙のタイトル上に書いてある通り。
「時間どろぼうと ぬすまれた時間を 人間にとりかえしてくれた女の子の ふしぎな物語」です。



謎掛けの答えは?


ミヒャエル・エンデ作品は小学生の頃『はてしない物語』を読みました。
続いて読んだのは『モモ』を読んだのは中学生の頃。
ふとまた読みたくなり、図書館で借りてきました。(いずれは手元に欲しい)


モモが、マイスター・ホラに投げかけられたなぞなぞ。
『モモ』を読む方、ぜひ考えてみてください。
わたしには印象的な問いでした。


ホントはまるで違うきょうだいなのに、
あなたが3人を見分けようとすると、
それぞれがたがいに瓜二つ(そっくりってこと)。
1番上のきょうだいは今、いない、
これからやっと現われる。
2番目のきょうだいもいないが、
こっちはもうおうちから出かけたあと。
3番目のちびさんだけが、
ここにいる。
それというのも3番目がここにいないと、
あとの二人は、なくなってしまうから。
でもその大事な3番目がいられるのは、
1番目が2番目のきょうだいに
変身してくれるため。
あなたが3番目をよく眺めようとしても、
そこに見えるのはいつも他のきょうだいだけ!
さぁ、言ってごらん、
3人はほんとうはひとりかな?
それともふたり?
それともーーーだれもいない?
さぁ、それぞれの名前をあてられるかな?
それができれば、
3人の偉大な支配者がわかったことになる。
3人は一緒に、ひとつの国をおさめている、
しかも彼らこそ、その国そのもの!
その点で彼らはみなおなじ。

この答えは物語の鍵になります。
エンデ作品はところどころ子ども心にわくわくする仕掛けがありました。
『モモ』で言えばこの謎掛けでした。



モモたちの取り戻してくれたもの



灰色の男たちに言われるがまま「時間倹約」に励む街の人々は、ひたすらに合理的、採算性を重視し無駄なものをなくしていきます。時間節約は趣味の時間、家族と過ごす時間、誠実さなど大事にしていたものを失わせていくことになります。

灰色の男たちは言葉巧みに人々の時間を奪っていきます。
でも人々はすぐに灰色の男たちの存在を忘れてしまいます。そして時間倹約およびそのための行動の数々は自分で決定したものだと思い込んでしまうのです。
灰色の男に初めて出会ったときのモモはひどい寒気に襲われます。しかしそんな彼女ですら彼らのことを忘れてしまうのでした。

街の人々が「時間倹約」のためにする行動は現代社会に通じるものでしょう。
たとえば床屋のフージーはお客さんとのおしゃべりをやめ、年老いた母親の世話をやめ施設に預けます。毎日過ごしていた女性との時間も減らし、ペットを手放し、友人と会うのも趣味もやめてしまいます。
そのほかにもいろんなパターンがあります。どれも現代社会を風刺したものに思えます。

モモと時間泥棒とのたたかいをドキドキしながら読み進めて。
そしてモモが取り返してくれたものはなんだったのか。モモが教えてくれたものはなんなのか。読み終わった時に考えさせられます。


灰色の男たちはそこかしこに


マイスター・ホラが見せてくれたもの。唯一無比の花、一人ひとりの「時間の花」。星の振子と、咲いては散り再び咲くさまざまな花。
自分自身の花は、今も咲いているだろうか。灰色の男たちの煙が混じってはいないか。

時間泥棒によって盗まれた時間は「葉巻きたばこ」にされ、燃やされ失われていく。死んでいった時間。

<モモがマイスター・ホラの<<どこにもない館>>でした、灰色男についての会話もまた示唆に富んでいます。

「あの人たちは、いったいどうしてあんなに灰色の顔をしているの?」と、
モモはめがねでむこうを眺めながらたずねました。
「死んだもので命をつないでいるからだよ。」と、
マイスター・ホラは答えました。
「おまえも知っているだろう。彼らは人間の生活時間を糧にして実存しているんだよ。
しかし、その生活時間は本当の所有主から切りはなされると、文字通り死んでしまう。
人間は一人ひとり自分の時間を持っているからね。
だから、その時間は、本当の持ち主が本当に持っている間だけ生きているんだよ。」

「時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです」

灰色の男たちはそこかしこに存在しているのでしょう。
自分の心、生活、大切な時間を殺してしまわないように生きていきたいものです。


『モモ』は子どもに向けてやさしい表現で描かれていますが、大人になって読み返しても考えさせられるテーマを含んだ作品です。